「ほっと医療学会」にて「解毒女子の哲学」を叫ぶ!
11月25日 日曜日は「ほっと医療学会」
ほんとうにほっとできる医療ってなんだろうと
真剣に現在の医療に問題意識をぶつける若き医師、
そして医学生が集う会にて発表をしてまいりました。
なにが一番の驚きかというと、この学会そのものが
「ほっと」できる場つくりをめざして構成されています。
席はグループごとに島がつくられて
ちょっとした甘いお菓子がお皿にもられ
お茶をのみながら会は進んでいきます。
3部構成の会でしたが1部が終わるごとに
発表内容に何を感じたか、どんな思いが自分の中に沸いてきたか
それをシェアしてテーブルのお仲間と語り
ポストイットに小さなキーワードメモをつくっていきます。
このような「思い」のシェアのしかけ、
そして場をファシリテートしてゆく技法を
確実に伸ばし獲得している医学生の皆さんに感激しました!
私の学生時代はちょうどカルロスゴーンさんが
日産改革を行い社内の会議の在り方を根本的に問い直した時期。
どうやったらその時うまれた「思い」をうまく出しあい、
シェアし、そして新たな価値に結びつけてゆくか。
まだ慣れないそういった「コミュニケーション デザイン」の場に
多くの方がとまどいながらも切磋琢磨されていった時代です。
時はひとめぐりし今は学生さんが見事な場つくりの可能性に挑戦しています。
彼らの問題意識の高さに圧倒されたひとときでした。
解毒女子に至るまで
さて、気持ちよく場があたたまった会場で
解毒女子の発表をさせていただきました。
私はいったい何者で「解毒女子」の発着点は何か!
この説明からはじまりました。
すべてのスタートは祖母からはじまる「食養生の教え」。
日々何を選んで口にいれるか、
自分の体は食べたものでできているよ。
そんな哲学を耳が痛くなるまで聴かされた幼少期。
しかしその本当の言葉の意味を知ったのは社会人になってからです。
メーカー時代、人事の仕事についていた
私はあることに気が付きました。
若く入社したばかりのエンジニアの健康診断の結果の数々。
驚くほどの血液検査結果。
特に目立った高脂血症の数値で
要再検査の通知が届けられても
自ら病院を訪れる人はわずかです。
どうしてこんな数値がでるのだろう。
気になった私はこっそり若い社員の1日の食生活を追いました。
朝は缶コーヒーと菓子パン。
昼は社食でラーメンかうどん、
カレーライスや揚げ物のお弁当をかきこみ
午後また眠け覚ましに缶コーヒー。
夕方ようやく頭がさえだして牛乳のパックのような
大きな甘い飲み物を机におきながら残業。
夜遅くにコンビニでお弁当を買って帰宅。
そんなパターンが程度の差こそあれ
繰り返される日常がありました。
この日常が続いたあと彼らがどのようになるのか。
その瞬間はある日の打合せの中で突如に訪れました。
あるプロジェクトの人事に関わる話し合いの中で
経営陣から発された、たったひとつのことば。
「あ、その人ガンだから、外しといて」
どんなに知識も経験も深く、長い間会社へ貢献をしてきても
「病」ひとつで人生のはしごは簡単に外されてゆくこと。
そんな現実を目の当たりにしました。
自分の体にどうむきあってゆけばよいのか
人は一度、自由に動く躰の価値を奪われないと
気づくことがなかなかできません。
この経験をとおして祖母の「食養生」の意味を問い直す
そんな日々がスタートしたのでした。
自分のカラダは誰のもの?
近代社会は生産性の高さ、
合理性のもとに発展してゆきました。
その合理性の辿りついた先は
突き詰めた「分業体制」です。
あらゆることを分断し分業することで
見事な効率性と生産力を手に入れることができました。
そしてそれはもちろん医療の分野にも広がりました。
体が悪くなったら病院にいけばいい
薬をもらえばいい悪いところは切ってもらえばいい。
しかしそれを繰り返してゆくうちに
あれ、おかしい。体がもとに戻らない。
どうしてどうして!!
いったい自分の体って誰のものなんでしょう。
私の問題意識はそこにシフトしてゆきます。
この視点はイヴァンイリイチ
「脱病院化の社会」という著作の中で語られています。
病院は人を治して社会に戻す役割をもっていますが、
そこには大変な矛盾も抱えています。
人が完全に治癒してしまい
病人がいなくなったらたちゆかなくなるシステム。
病人を生み出してゆくことを存続させる必要があるのです。
解毒女子の会の大切なテーマそれは
「自分の体を自分の手に取り戻すこと」。
そして微細な変化に気づき
早めに自分でできる予防や対策をたててゆくこと。
自分の体の構造や
微細な変化に気づくための実験が「常在菌」の実験です。
今回も会場のみなさん全員でやってみました!
塩を手のひらにのせ、まずはひとなめ。
塩本来の味を確認します。
そのあと片方の手指で塩をよく混ぜ込みます。
そしてもう一度塩をなめると
まあ、不思議。味が違う!!
カドが取れてまるい味に、
まろやかにもしくは塩気が強くなった、
味が固くなった、などなど色んな意見が飛び交います!
みんなわいわい大騒ぎ!!
なんでなんで、なんでだろう?
そして極めつけはお隣さんたちと
塩の味見交換をします。
さあどんな味の差があるのか。
あ、おいしい!私より辛いね!などなど。
この実験、塩は手の常在菌があいまって
アミノ酸化し旨みとなるといわれています。
確かに素手でにぎるおにぎりは
ラップで握ったおにぎりとは雲泥の差!
ほんとうに美味しくなるのです。
昔から「手塩にかける」っていいますものね。
じつは常在菌と私たち日本人は
ながいあいだのお付き合い。
おばあちゃんが毎日手をいれて
つけてくれた糠漬けも、この常在菌のおかげ。
解毒の会に来てくれた方は病気で手術をし
抗生物質をしばらく服用していました。
彼女いわく、「塩の味がすごくきつい!」
そう、それは
体全体の常在菌が減ってしまったゆえかもしれません。
そこではじめて目にみえないけれど
自分の体のなかでおこっている
「事件」に気づいてもらえる。
そして薬との関係、を見直すことの大切さを実感してもらえる。
いろんな気づきが瞬時に勃発するこの実験!
一気に会場はヒートアップ!
常在菌は人生のいつどこでもらうの?
では常在菌って人生のいつどこでもらうの?
今回は会場に問いかけました。
うーん、いつだろう。
お腹のなか?いや、子宮の中は無菌だし。
そう、じつはお母さんの産道を通る時。
ぐるぐるまわりながら産道を通り
お母さんの常在菌をもらって産まれてくる赤ちゃんは
体に沢山の菌をまとっています。
最近はその常在菌がアトピーやアレルギー予防に
とてもふかく関係することがわかり
病院では沐浴をさせないことを
赤ちゃんを産んだばかりのお母さんから教えていただきました。
ドライウエット法というのだそうです。
かるくふいてそのまま。
そう、石鹸や界面活性剤のはいった沐浴では
赤ちゃんの常在菌を奪ってしまうから。
解毒女子の主要テーマ一つ目は
「押忍!鍛菌部、数千万の菌隊を決起させよ!」
菌がそだち、増える場所。
それは腸。
その腸がつまっていたり、
絨毛が詰まって寝ていたらきっと
常在菌たちは増えてくれないし気持ちよく働けない。
菌が喜ぶ体つくりで目にみえない彼らの支援を大事にしながら生きてゆく。
そのためには何をたべたらいいの?
どんなことを体にしてあげればいいの?
これを語り合い情報交換するのが解毒女子の場なのです。
小さな微小な体の変化に耳をかたむけて生きること。
そして早め早めに様々な症状の予防をしてゆくこと。
そのための「攻めの解毒」。
自分でできるメソッドを会でご紹介しています。
会場では多くの方から
「そんな視点で体をみたことがなかった!」
という声をいただきました。
そしてこれから否応なく
私たちの生活にのしかかってくる超高齢化社会において
どうやって自分の体にむきあってゆくか。
予防医学、地域医療、終末医療、
妊娠も出産も含めて
これからは病や症状を予防してゆくことが
喫緊の課題であること、
これを医学生の皆さんと話しあいました。
ひろがれひろがれ解毒の輪!
今回はほんとうに有意義なひとときを
過ごさせて頂いたことに感謝です。
素敵な場での発表の機会を
いただきありがとうございました。
2012 1210